夢の見つけ方
ヒーラー画家の伊敷トゥートリサです。
やりたい事(夢)が見つからない。
私にしかできない事(使命)を見つけたい。
そんなあなたに、私が夢(使命)を見つける事ができた流れや方法を体験からシェアしていきます。
幼少期に好きだった事
使命(夢)を見つける時、幼少期に好きだった事の中に大きなヒントがあります。
私は、幼い頃から絵を描くのが好きでした。
絵を描くと、両親に誉められたり喜んでもらえたりするのが嬉しくて沢山絵を描いていました。
印象に残っているエピソードがあります。
保育園の時に畑で老夫婦が野菜を育てている絵を描いたのですが
その絵が市長賞を受賞しました。
身近に農業をしている人がいるわけでもなく、この絵のような体験をしたわけでもないのに、どうしてこの絵を描いたかというと
美味しい野菜を食べた時に、この野菜を作ってくれた人の気持ちを感じてそれを絵にしようと思ったからです。絶対に愛情いっぱいかけて育てていると思ったのです。
だから、絵の中の老夫婦は汗をかきながらもニコニコ笑顔で野菜を育てている。
そして、その絵を描く事で私はありがとうと伝えたかったのです。
絵を描いている人の中には描くという行為や表現方法自体を大切にする人も多いと思いますが
私にとって絵は伝えたい事を伝えるツールという言葉がしっくりします。(お手紙みたいなものかな)
なので、形(絵を描く事自体)にはあまりこだわりがなく
身近にあったものがたまたま絵だった。好きでもあるけど、それよりも長時間描いていても苦にならないという方がしっくりきます。
「好きを仕事に」という言葉はキラキラして楽しそうですが
好きの中だけで探すのではなく
周りから誉められること
好きと関係なく苦労せずに得意な事
やっていて苦にならないこと
この中にもあなたの使命(夢)のヒントがあります。
どうせ大変なのだから
幼少期から絵を描くことが好きだった私は、
真っ直ぐ夢へ一直線!!!
というわけではありませんでした。
「画家は一握りの特別な人しかなれないから、あなたには無理よ」
母にそう言われ、私はすぐに夢を諦めました。
落胆したというより、すごく素直なあっけらかんとした気持ちで、そっかーっという感じでした。
それからの私はこれといった夢はありませんでした。
小学生の時は「ショムニ」というOLさんが主人公のドラマがやっていたので私もOLになるのかなと思っていました。
高校で進路を考える時、医療関係が安定しているから医療系に進もうと思って職業体験は医療系の体験に参加していました。だけど、体験だけでめちゃくちゃ大変だった。
その時気づいたのです。
仕事って何をするにも大変なんだ、、、
そして、思ったのです。
どうせ大変なら、少しでも好きと思えることを仕事にしよう
真上にあるから気づきにくい
そこで絵を描く事が好きだという事を思い出した私はデザインの専門学校に入学しました。
専門学校には個性豊かなクラスメイトが沢山いて、ここで初めて私自身の個性を褒めてもらう経験をしました。今までは自分の個性は悪いもの(いじめられたり、馬鹿にされたり)だから普通になろうと頑張っていましたが、ありのままの私を素敵と褒めてくれる友人達と出会いました。
初めて心地よい居場所を見つけた私は、真っ直ぐに自分の好きと向き合うようになりました。
入学初期にデザインとアートは違うという事を学んでから(デザインはYOU アートはI)
考え方が私はデザイナー向きかもなー
何かしらのデザイナーになるんだろうなーと思っていたし、アートは自分とは程遠いものと感じていました。
だけど、これだ!!という具体的なものが見つからない。
日々は楽しいけれど、どこか宙ぶらりんな虚無感も感じていました。
この頃の私は、好きとワクワクのセンサーに従って興味のある物事を手にしたり、足を運んだりしていました。(水戸芸術館に行くのがとっても好きでした^^)
そんなある日、クラスメイトのお父さん(画家)の個展にいく機会がありました。
作品を見終わった後に
「君達もやっちゃいなよ」
と声をかけてくれたのが凄く凄く衝撃で、、、
「え!だって、個展を開催するって個性と実力がある特別な選ばれし者しかできないんじゃないの?!私もやっていいの?!!!」
それまで自分には関係のない遠い世界の事が、自分にも出来る事(やっていい事)だと思えた時
とても衝撃的で、ワクワクというよりゾワゾワが止まりませんでした。
そのすぐ後に、凄く素敵な絵を描く画家さんの個展を見る機会があり
私もやりたい!!!!!
と初めて、望みが出てきました。
ある晩、私はお月様を探していました。(お月様を見るのが好き)
だけどなかなかか見つからない。前も後ろも右にも左にも無い。
もしかしたら、新月で見えないのかな?と思いながら
ふと真上を見上げたら、そこには大きな満月がありました。
まだこの時点では夢(使命)を見つけていないけど
この満月のように、気づかなかっただけでずっと身近に「夢」はあるのかもしれない
そう思いました。
夢を見つけた瞬間
2008年、クラスメイト達と初めてのグループ展を開催しました。
「あなたとわたし」をテーマに夢みたいな空間をコンセプトに会場を作っていきました。
会場に選んだのは、ギャラリーではなくDJイベントをするようなイベントスペースでした。真っ黒な壁と天井にはミラーボール。
壁と天井に白のロールペーパーを敷き詰めて、垂れ下がったロールペーパーを空調の風で靡かせました。真っ暗にした室内にミラーボールの光がクルクルと踊ります。
来場したお客様には懐中電灯を渡して、作品を鑑賞してもらいました。
幻想的な世界に喜んでいただけました。初めての展示は大盛況。
リピーターの方も多く「本当に夢みたいな世界」とお声がけしていただきました。
その中で、私はある言葉をキッカケに夢を見つけました。
「夢みたいな世界、ずっとここにいたいな。あーぁ、現実に戻りたくない。」
この言葉を聞いた時、そうか、、現実って戻りたくない所なのかととても悲しい気持ちになりました。
思い出したのです。かつての自分を。
今はとても楽しい世界(現実)を生きているけど、かつての私は生きる目的も希望もなくて
たいして楽しくもない日々をただた消費していました。
だけど、そんな私が今は現実が楽しくてしょうがない。
できないと思っていた事、自分には関係ないと諦めていた事がそうじゃなかったと
初めて未来に希望を持っている。
そう思った時、私は夢を見つけました。
私は夢みたいな(現実逃避する為の)空間を作りたいんじゃない。
現実を楽しいと思って生きられるような、キッカケ(導き)になるような活動をしたい。
私は、身近にあったもの(絵)でそれを形にすると決めました。
夢を見つけてから、今年で16年目。
活動の根底(思い)は今もずっと変わりません。
世間と常識は関係ない
夢(使命)を見つけてしまったら、やらないという選択肢は私の中にはありませんでした。
やるしかないしかない。
答えは一つだけれど、不安や恐怖は常にありました。
経験や実績、個性や実力、何もない。
周りからは「上手くいきっこない」
「もっと現実を見ろ」
と言われていたけれど
“それでもやる”
を選んで行動し続けた事が私の今に繋がっています。
そして、思うのです。
「上手くいきっこない」
「もっと現実を見ろ」
と言ってきた人達は、その業界の人でもなかったし、私がやりたい事を体現している人は
誰1人もいなかった。
世間の常識、個人の経験での物差しが自分にフィットするとは限らない。
寧ろ誰かの常識は、自分の可能性を狭めてしまう事が多いように思います。
私たちの可能性はこんなもんじゃない。
点と点が線になる時
私が描く絵は沢山の色が重なっています。
下にある色は見えなくなる場合もあるし、削った時に出てくる場合もあります。
だけど、見えなくなったからといって塗らなくてよかった無駄な色というのは
一つもなくて、全ての色が何かしらの影響を与えあっている、全てが必要な色なのです。
私はきょうだい児として育ちました。姉の介助をする事が多く友達と外で遊ぶ機会が少なかった私は
絵を描く事と絵本を読んで遊んでいました。私は、絵と言葉が好きになりました。
良いと思うものが人と違うと言われる私の感性(個性)は仲間外れにされる事が多々ありました。個性を出す事、表現することはとても怖い事でした。だけど、自分を生きることは自分を受け入れて表現する事だと気づいた私は、悩みながら、葛藤しながら形にし始めました。
感受性の強い私の人生は、傷つく事が多い人生でした。沢山へこたれて、泣いて立ち上がる。優しさと強さを大切にしたいと思える体験をしてきました。
嬉しい事も悲しい事も、全部全部が私の愛おしい色たち。
意味のない無駄な事なんて何一つなかった。
点と点が繋がる時、全てが私の資産となりました。
私には何もない。才能も可能性もない。
私にはできないと思っていた事が沢山ありました。
そう思っていたところから、今は私は私の可能性を信じられるようになりました。
そんな私だから自信を持って言えるのです。
私達には自分が思っている以上の可能性と
自分を幸せにする力がある
だから自分をみくびらないで。
さいごに
好きも嫌いも、得意も不得意も違う、唯一無二の個性を持ち合わせた私達。
夢(使命)を見つける(認識)するヒントは、あなたの人生の中に沢山あります。
自分では当たり前と思っていた事の中に大きなヒントがあるかもしれません。
せっかく私として生まれてきたのだ。
どうせなら思いっきり謳歌してやろうじゃない。
LOVE FOR US♡
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