幸せすぎて絵が描けなくなった話
8月もあと少しでおしまい。
最近は秋の気配を感じる場面が増えてきたなーと
窓から入る夜風と鈴虫の音に嬉しい気持ちを感じています。
そんな私は密かに【幸せで満たされすぎて絵が描けないスランプ】に陥っていたのでありました。
ややや。幸せすぎなんて側から見たら、幸せな悩みやんと思うのですが(私もそう思う)
絵描きとして、表現者としては結構死活問題でして
私が絵を描く意味をここにきて見失いかけていたのです。(深刻)
今までの私は「悩み」「悲しみ」「苦労」を経て
絵の具を介し「癒し」「活力」「可能性」「氣付き」へ昇華して
幸せ(愛)へ導く絵を描いていました。
だけど今は、初めから幸せにたどり着いてしまって
絵を描かなくても幸せで満たされているから
絵を描く必要性がわからなくなってしまったのです。
一個人としては、りさちゃん幸せで良かったね、ちゃんちゃん♪(終わり)
なのですが、6年前の活動10周年の個展で
「私は不幸じゃないと幸せに導く絵が描けない」と思っていたけれど
「私は幸せでも幸せに導ける絵が描ける」と宣言したのです。
だからこそ、内心凄く不安でした。
やっぱり私は辛くないと絵が描けないのかな、、、いやいや、そんなの嫌だ、、、
私は決めたんだ、、幸せに生きるって、幸せでも最高の絵を描くって、、、、
でも、、、今、、幸せの中で絵が描けない、、、、
幸せなのに、怖い。幸せなのに、不安。幸せなのに、虚無。
絵を描かない私に意味(価値)なんてあるのだろうか
おばあちゃんになっても続けていきたい活動のはずなのに
私は幸せに生きたらあの色達は生まれないのだろうか。
.
.
.
沢山悩んで、自己対話して、素直な気持ちを話してみたら
この今でさえもなんだか愛おしく思ってきて
今しか描けない絵を描こうと思ったのです。
そう思った矢先、ふと思い立って大好きな神社で一人時間を過ごしていたら
出てきたのです。
私が幸せの中で絵を描く意味。
それは、、、、
【忘れないため】
この瞬間の幸せを忘れないように
私は絵を描くのです。
幸せも不幸もいつか終わりが来る。
終わりというか、厳密には変化していく。
だから、ずっと「何もかも変わらず永遠に」なんて私はないと思っていて
それは、寂しくもあるけれど、嬉しくもあって
だから私たちは、生きるを体験しにきていると思うのです。
今の幸せもどんどん変化していく。
それは、幸せの後には不幸が来るみたいに刹那的な概念だけじゃなくて
更に幸せになってしまう事も含めて
ずっと同じじゃいられないのです。
今の私の幸せが私達の幸せに繋がっていたら
こんな風に思うのはおこがましいかもしれないけれど
そう願いながら私は絵の具をちりばめます。
こんな記事を読みました。ーーーーー
ハーバード大学による研究で幸福は人から人へと伝染することが明らかになっています。
例えば、日々接している家族や友人が幸せを感じていると、周りの人も幸せを感じる可能性が15%高まることが分かっています。 幸福感は直接の知り合いではない人にも伝播します。
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10月の個展
【私が私で良かったと思えた事 あなたがあなたで良かったと思えた事】
は今までで一番幸せで溢れた個展になると確信しています。
楽しみにしていてください。
一緒に思いっきり幸せを生きようね。
。o○。o○゚・:.。. .。.:・゜○o。○o。゚:.。. .。.:・゜。o○。o○
伊敷トゥートリサexhibition
【私が私で良かったと思えた事
あなたがあなたでよかったと思えた事】
2024年10月24日~30日
※最終日は16時閉廊となります。ご注意ください
京成百貨店6階アートギャラリー2
(茨城県水戸市泉町1丁目6−1)