幸不幸解釈論🍎
私は自分の人生を不幸だと思った事がありません。
それは幸せな事ばかりの人生だったから、、、、というわけではありません。
大変な事、辛い事も沢山ありました。
辛いことなんて当たり前に沢山あった
幼少期から、きょうだい児(障害があるきょうだいを持つ)ヤングケアラーで
小学生の時から姉のトイレ介助もしていました。生理のナプキンの使い方を初めて覚えたのは姉の時で
夏の暑い時は特に、蒸れる他人の血や便の匂いを我慢するのに必死でした。
だけど、汚いとか臭いとか、そんな感情を持つ事はいけない事のような気がしていて、何も感じないように振る舞っていました。
「お前が変なのはお姉ちゃんが障害者だからだ」
自分の個性のせいで、クラスメイトに姉のことを引き合いに出された時
周りと違うものを選んだ時、変だとといじめられたりした事で
自分の生まれ持った感性や個性が、全て良くないものだと実感してから
自分を否定する事が当たり前になり、みんなと同じ、普通になろうと頑張っていた時期もありました。
ヤングケアラーの経験から、「相手の為に生きること」「自己犠牲」は私の生き方の土台になっていました。その究極が結婚生活。自分をすり減らして相手に寄り添う事で、理不尽な事を我慢し続けました。
自分の感情を押し殺し続けた私はハント症候群を発症して、顔の右半分の神経が死んでしまい、嬉しい顔も悲しい顔も作れなくなってしまいました。今はだいぶ回復しましたが完治とはいかず後遺症が残ってしまいました。
だけど、
”私ばっかりこんな酷い目にあうなんて”
”あの人ばかり良いことばかりで許せない(リア充爆発しろ的な)”
こんな風に思ったことはありませんでした。
それって私が聖人君主な訳じゃなくて、自分と誰かの幸不幸を比べていなかったからだと思うのです。
表側と内側
そんな私は、昔から「楽しそうでいいよね」と言われたり
「あなた、辛いことなんてあまり経験した事ないんでしょ」と言われたり
「好きなこと、楽しいことばかりやってて羨ましい」と言われる事が多いのでした。
喋り方?雰囲気?何でそう言われるのかはわかりませんが
私自身が、自分の境遇を可哀想とか不幸だとか思っていないのも要因なのではと思っています。
それに、私は苦しいや辛いで終わらせる事がとっても悔しいのです。
(私の唯一の負けず嫌いな部分。笑)
苦しいや辛い状況や心情をどうせならプラスの方向に転換したい。
自身の血肉にして、似たような状況で悩んでる人の力になりたいし
その経験があったから、結果オーライと思える未来に繋げていきたい。
そう思いながら、様々な事柄と対峙しているので
振り返ると、全てのことが結果オーライであり、私を形作っている大事な要素だと感じています。
不幸のカリスマ
学生時代、仲の良かった友人に
「伊敷は不幸のカリスマだよね。その星の元に生まれてるからそれって変えられないよね。」
と、呪いメッセージのような言葉を投げかけられた事があります😇
今思うと、結構酷いことを言われてたなと思うのですが
当時の私は、妙にしっくりきてしまい、返す言葉も反論する言葉も何も出てきませんでした。
「不幸のカリスマは一生変えられない」
この呪いの破壊力は結構根深くて、長らく私を苦しめることになりました。
幸せになってはいけない
その思考から抜け出せるようになったのは
裁判を経てようやく離婚出来た頃。
活動10周年個展「始まりと終わりのトビラ」を開催した時。
この個展のテーマは
今まで生きてきて感じてきた事、喜びも悲しみも、嬉しいことも悲しい事も
水を掬うように自分を救う
現時点での人生の総集編のような個展だっのですが
会期中に氣付いたもです。
「私が不幸じゃないと誰かを幸せに出来ない」と思い込んでいた事に。
私自身、自身を不幸と思った事はなかったけれど
辛い経験を乗り越えた事で、自分以外の誰かの力になっている事は実感している。
特に絵や言葉で、人々を癒したり勇気つけたり、救われたと涙してもらえたり
私がそうできるのって、不幸を乗り越えてきたから。
自身の不幸の上に成り立ってできている事。
だから私は、これからも不幸でないと誰かを救えない。
半ば諦めと使命のような気持ちでそう思っていました。
私は幸せになってはいけない。そう思っていた事に気づいた時涙が溢れました。
何を設定する?
だけどこれって誰が決めたの?
そう。自分で決めていたのです。
信じられない😇
衝撃😇
だって誰だって幸せになりたいものじゃないの?
自身に起こる出来事はしょうがない事、不可抗力な事だと思っていたけれど
無意識に納得して自分で選んでいた設定だったのです。
今は、思考が現実を創るを実感しているので理解できます。
設定はいつでも変えられます。
どうする?このままの設定でいきますか?
私は自身が幸せであっても相手を幸せにできる
今は、こんなふうに人生を設定しています。
幸不幸解釈論🍎
りんごの木からりんごが落ちた時
前者は「りんごが落ちるなんて不幸の前触れだ」と思う
後者は「りんごが落ちるなんて幸運の前触れだ」と思う
その後、前者は不幸だと思う事に遭遇するし、後者は幸運だと思う事に遭遇する。
人生も同じ。
結局は、物事にどんな解釈を与え、設定しているのか。
それが、幸不幸の正体だと思うのです。
周りから見て、不幸に見えても本人が不幸と感じていなければそれは不幸ではないし
周りから見て、幸せに見えても本人が幸せと感じていなかったらそれは幸せではない。
全ては自分の解釈次第で幸不幸を選べるって、自由でとても嬉しい。
そう思うのです。
私達には自分を思いっきり幸せにする力があります。
まじみくびるなよです。
思いっきり幸せにしていこうね♡
LOVE FOR US
活動10周年作品集
今まで生きてきて感じてきた事、喜びも悲しみも、嬉しいことも悲しい事 水を掬うように自分を救うをテーマに書いた作品集