勝ち確(勝ち確定)
コンプレックスと嫌悪感
女性として生まれた私。
思春期あたりからこの女性らしさというものにコンプレックスと嫌悪感を持っていました。
ですが、思い返してみると幼少期の頃は全くそんな事はなく
寧ろ女性らしさに憧れを持っていました。
丸みのあるフォルムやおっぱい。
バブル時代のミニスカートを履いてふわふわの扇子を持って、くねくねと踊るお姉さん達に魅力を感じていて、私も大きくなったらあんな風になる‼︎と密かに思っていました。
ところがどっこい成長するにつれて大人の女性に近づくどころか
幼少期に憧れていた女性像とは程遠く、肉が付かない貧相な身体にコンプレックスな顔。
異性から外見に対してからかわれる度、可愛い女の子が特別扱いをされるのを見るたび
私は「じゃない方」「女性として価値がない」のだと自己否定が止まリませんでした。
そんな私は女性としての自信と憧れをゴリゴリ削りながら成長していきました。
だけど今度は成長するにつれて、異性として見られる事に嫌悪感を持ちはじめました。
相手に優しくされても、そこに性的な意識(女として意識している)を感じると相手を拒否してしまう。
私を女として見て欲しくない、人間として見てほしい。
長年そう思っていました。
私のこの気持ちは、性自認の違和感ではなく、自分の性を否定してきた結果だと思います。
大人になるにつれて見えてきた世界
今度は大人になるにつれて、女性というだけで理不尽な扱いをされる事、押し付けられている事、性差で搾取される社会の構造に辟易していました。
それに加え、女性の身体に訪れる、毎月の生理やホルモンバランスで揺らぐ心身の不調は自身の努力ではどうにでもならず幾つになっても振り回されるのです。
女の身体を持っているだけでこんなにも理不尽を抱えながら生きていかなきゃいけないなんて。
私達は蔑まれる存在でも、なんでも言うことを聞く都合の良い存在でもない‼︎
現実を知れば知るほど、怒りが込み上げてくる。
だけど絶望と怒りを腹の底に抱えながらも日々、目の前のタスクをこなすのに精一杯でこの感情、状況に向き合いきれず日々は流れていきました。
勝ち確(勝ち確定)
憧れ怒り嫌悪感、様々な感情を抱いて、拗らせまくっていた私の「女」性ですが
先日ふと「女に生まれただけで勝ち確(勝ち確定)じゃん」と思ったのです。
ええええええええええええええええええ!!!!!
自分でも驚きました。
「女に生まれただけで勝ち確(勝ち確定)」
なんて語弊しかない言葉😂笑
男性に言われたら、怒り心頭の言葉のはずです。
なのに、「女性」の生きづらさに悩み、辟易していた自分からその言葉が出てきた時
私はとても嬉しかったのです。
私の中の「女」性が喜びに変わっているのを感じました。
社会の理不尽さも身体の不調も劇的に改善されたわけではないけれど
自分を大事にしていく中で、自他ともに愛される経験が増えていき
私は私の持ち物(特性)に喜びを感じているのです。
言うなればこの言葉は「女だから徳をする」「男だから損をする」という意味ではなく
「私(自分)に生まれただけで勝ち確(勝ち確定)」
という事なのです。
語呂がいいから「勝ち確」という言葉が出てきたけれど
これも勝ちとか負けとう意味ではなく
「私(自分)に生まれただけで大成功(最高)」という意味。
長年自分自身を否定していた私からこんな自己肯定感バリバリな言葉が出てくるなんて
感無量😭
それと同時に誰でもこんな思考になりえるのだと確信しています。
(ぜひ過去の記事を読んでみてくださいね)
私達には自分を幸せにする大きな力がある‼︎
一緒に最高の私を生きていきましょうね♡
自分を大事にしたらFカップになった話
私、BカップからFカップになりました!!!! いきなり何事⁈‼︎‼︎と思われたそこのあなた。 これは自慢したいわけではなく、自分を愛する事は心だけじゃなく肉体も変化する という話がしたくて公表しました❤️🔥 前回書いた記事で 「私(自分)に生まれただけで大成功(最高)」 と思ったという記事を書きましたが 今回はそう思えるまでの変化を深堀してお伝えします💖 30歳を過ぎても痩せ型胸無し 元々の私は痩せ型で、なかなか太れない体質でした。(30代前半まで胸はBカップ) 体重は40キロなく37〜8キロぐらいで、痩せ過ぎなのがコンプレックス。 「細過ぎでしょ。ちゃんと食べないとダメだよ。」 知人や初対面の人から言われるたび、自分を否定されているようでとても悲しく、嫌な気持ちになっていました。(太ってる人には「太り過ぎでしょ。痩せないとダメだよ」と言ったら失礼だと思う人が多いはずだけど、「痩せ過ぎ、太らなきゃ」は失礼な発言だと思わない人がほとんど。) でも、今思うとそれって私が私自身を否定していたから外…
勝ち確(勝ち確定)
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幸不幸解釈論🍎
私は自分の人生を不幸だと思った事がありません。 それは幸せな事ばかりの人生だったから、、、、というわけではありません。 大変な事、辛い事も沢山ありました。 辛いことなんて当たり前に沢山あった 幼少期から、きょうだい児(障害があるきょうだいを持つ)ヤングケアラーで 小学生の時から姉のトイレ介助もしていました。生理のナプキンの使い方を初めて覚えたのは姉の時で 夏の暑い時は特に、蒸れる他人の血や便の匂いを我慢するのに必死でした。 だけど、汚いとか臭いとか、そんな感情を持つ事はいけない事のような気がしていて、何も感じないように振る舞っていました。 「お前が変なのはお姉ちゃんが障害者だからだ」 自分の個性のせいで、クラスメイトに姉のことを引き合いに出された時 周りと違うものを選んだ時、変だとといじめられたりした事で 自分の生まれ持った感性や個性が、全て良くないものだと実感してから 自分を否定する事が当たり前になり、みんなと同じ、普通になろうと頑張っていた時期もありました。 ヤングケアラーの経験から、「相手の為に生きること」「自己犠牲」は私の生き方の…
感情をどう使うか
喜怒哀楽、生きていると様々な感情が生まれては消えていく。 生きている限り、私達はこの感情と共に生きていくわけなのだけど 感情と向き合うたびに、感情に良い悪いはないのだと実感するようになりました。 感情の中でも、私は怒りと悲しみを抑圧、否定しがだったのですが どんな感情も許容し始めてから、怒りと悲しみの行く末を自分でクリエイトできるようになってきました。 怒りと悲しみの矛先 怒りが湧いてきた時、その出来事や相手に怒りの矛先を向けるのではなく 怒りのパワーを使って自分を幸せにする為の行動をしていきます。 やりたかったけど、なかなか出来ずにいた事も怒りパワーでパワフルにこなしていけるし 行動していく事で、怒りの気持ちを発散していけるので自分の中で怒りが腐敗しないで済むのです。 生まれた感情は怒りでも、使い方次第でその怒りを実りある行動に変換できる。 この力を愛の方向に使って、より良い未来を創造していけるのです。 悲しみが溢れた時、私はその悲しみの理由を自分に細かく聞いていきます。 出てきた悲しみの理由を全肯定しながら聞いていく。 その先で、じ…