結果が出なくて悩んだ時の気づき
悩んでいるのは「余裕がある」から

落ち込んでいるとき、悩んでいるとき。
そんなとき、私たちは「余裕がない」と感じがちです。
だけど、ふと気づいたのです。
本当に余裕がない時って、悩んでいる暇すらない。
朝から晩までやるべきことに追われていたり、
何かに夢中で没頭しているとき、私たちは悩んでいる暇なんてありません。
ということは、、、、、
悩んでいるということは、実は余裕がある証拠なのです。
ひえー😇その事に気付いた時、耳が痛かった😇💦
だったらその時間を「悩み続けること」に使うより、「動き出すこと」に使った方がいい。
浮かんできたインスピレーションを小さくてもいいから、形にしてみる。
実際に“行動”というカタチにしてみる。
これは、内に眠る男性性のエネルギー。
「思考」から「実践」へと自分を動かしていく力です。
悩んでいるエネルギーを、行動へと変換していくと、いつの間にか心が軽くなっていく。そしていろんな事が回り始める(動き始める)のです。
そのことを、私は何度も体験してきました。
神様の視点で問いかけてみる

頑張っても頑張っても、思うように結果が出ないときがあります。
そんなとき、私はこう問いかけてみます。
「もし私が神様だったとしたら、この状況をなんのために起こしてる?」
すると、思ってもみなかった答えが返ってくることがあります。
ある時、私の内側から返ってきた言葉は
「相手に頼るため。受け取る器を広げるため。」
私は気づかないうちに、「自分でどうにかしなきゃ(迷惑をかけてはいけない)」「一人で頑張らなきゃ」と、キリキリと自分を追い詰めていたのです。
そして、結果が出ないときは「私に価値がないからだ」「できない私はダメだ」と、
自尊心をゴリゴリと削っていました。
負のスパイラル😭(私、ごめんね)
でも本当は、結果が出ないからこそ、
“誰かに頼る”こと、“受け取る”ことを体現する(経験する)学びだったのです。
自分ひとりで抱え込まず、世界と循環するための愛のレッスン💖
願いはただの通過点

いつの間にか私は、願いを叶えること、結果を出すことに執着していました。
それができなければ意味がない。
それができなければ、私は無価値。
そんな自尊心をゴリゴリ削る思い込みの中で、必死にもがいていた時期もありました。
でも、あるときはっきりと気づいたのです。
願いを叶えることは、ゴールなんかじゃなくて
ただの通過点にすぎなかった。
人生の本質は“結果”ではない。
「過程そのもの」こそが、宝物だったのです。
どうやってそこまで歩いたか。
どんな風に心が揺れて、悩んで、それでも前に進んだのか。
そのすべてが、誰とも比べられない唯一無二の「自分の物語」なのです。
たとえ思うような結果が出なくても、
そこに至るまでの“選択の軌跡”がとてつもなく尊い。
だから、願いが変わっても、叶わなくてもいい。
そのプロセスすべてが、私たちを美しく成長させてくれるのです。
夢は“日々の延長線上”日常にある

これまで私は、たくさんの願いや夢を叶えてきました。
そのたびに思うのです。
夢って、遠くから見ているときはキラキラしているけれど、
いざ近づくと、不安や恐怖、現実的な地道さを伴ってやってくる。
そして、いよいよ夢が叶った瞬間には
それはもう「ただの日常」現実なのです。
あれほど憧れていたのに、それは特別な非日常ではなく、
日々の暮らしの中にすっと溶け込んでいくもの。
だからこそ思うのです。
夢は、叶えることが目的なのではなく
向き合い続けること、変化を許すこと、歩きながら自分自身と再会していくプロセスこそが何よりも大切なのだと。
愛おしいのは、結果じゃなく“日々”のほう

人生を終えるとき
「どんな瞬間が一番愛おしいか」を思い返すとしたら
きっと、それは
何か大きな結果を出した日じゃない。
うまくいかなくて、もがいた日々や、悩みながらも前を向こうとしていた時間。
誰にも気づかれなくても、心を込めてやっていた小さなこと。
そんな“なんでもないような日々”こそが、
後から見れば、人生で一番まばゆい宝物になるのだと思います。
嬉しかったことも、悲しかったことも
悔しかったことも、笑いあえた時間も
全部ひっくるめて、私たちの人生。
結果よりも、
「そのときどんな気持ちで生きていたか」を愛おしめる人でありたい。
そんなふうに思うのです。
LOVE FOR US♡